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(千日回向開始 @10)
2022(令和4)年度
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1・ 1/ 8〜12/30 2・12/29〜 12/20
3・12/19〜12/10 4・ 12/ 9〜 11/30
5・11/29〜11/20 6・11/19〜 11/10
7・11/ 9〜10/31 8・10/30〜 10/21
9・10/20〜10/11 10・10/10〜 10/ 1
≫10/30/22 初めまして130です。
世相は円安不況の真っ最中。久しぶりに回転寿司にいった。ここ二三年しか立ってないのにこことて大分様変わりしている。進化は留まることを知らない。私たちの現役時代と比べるとその進化のスピードが格段に違う。デジタルと今ある産業を組み合わせることによって、信じられない位の生産性が高められていくらしい。急激な変化に大事なものが失われないように注意しなければならない。
≫10/29/22 初めまして129です。
聞く、話すは聴覚的に対し読む、書くは視覚的な感覚器官を介し実態に迫る互換関係を保って発達していく。聴覚的刺激はそこになくてもあたかもあるかのように創造させてしまうので、視覚的仮想情報とともに併用することで、その商品の購買力を高めたり、催眠術の手段にも使われてしまう。私もそのメデイアで危機をあおるニュースにさらされ必要以上のストレスにさらされたのも大いに原因となったのではと思います。それをコントロールさせるための絵を描くというアウトプットの時間を抑制させたことによると思う。文明が急速に進化し始めたのはシュメールのくさび形文字から実態とはかなり離れたアルファベットの24文字さらにコンピュータ言語にいたってからである。聴覚的言語がその即時的伝達性もあってたとえ間違った理解でも信じ込んで過去から現在に至るまで戦争を繰り返し自然死によらない寿命を繰り返してきた。このあたりでそういう歴史に終止符を打つ時代がやってきたのではないか。
≫10/29/22 初めまして129です。
若いときお年寄りの動きがよろよろしているのを見てなぜああなるかが自分も身にしみてわかるようになってきた。それは大雑把に言えば、視覚、呼吸、心臓、脳の連携がうまくいかないからである。ことばは感覚器で感じたことを表す役目とそれぞれの部位がどのように働きどう処理するかという役目、すなわちインプットとアウトプット的側面がある。インプットは聞く話すという表音文字に、アウトプットな書く読むという表意文字によりなじむのだが、漢字文化は日本、台湾、中国だけしか使われていないのが少し残念だが、無限の造形表現活動を日常的に取り入れていけばよりいのちのメカニズムを理解できる未来がやってくると思う。
≫10/28/22 初めまして128です。
昨日久しぶりに近所にありながら一回もいけてなかった散髪屋へいった。昔より大分洗練されサービスも格段と進化していた。鏡を見て自分だけが取り残され老化の一途をたどっているのに驚愕を覚えた。こんなに時間が早くたっていたのかと改めて思った。しかし自分の心の中は昔の自分に戻っていたのでそこから脳の中から元気な自分によみがえるような体験をした。自然治癒力はこうゆう仕方でも回復できるもんなんだとつくづく思った。
≫10/27/22 初めまして127です。
朝から食欲がない。連日の脈の乱れが気になるが、今はない。さだまさしの防人の歌詞が気になる。いのちを中心に据えれば天動説で自分以外のものは絶えず回り続けている。患者に寄り添い想像力の豊かな医者だけが常にそれと向き合うことができるのだろう。
≫10/26/22 初めまして126です。
こども時代は若干引きこもりで地球の地図の地名をくまなく覚えた。それだけでは足りず自分で想像上の星の地表を描き色鉛筆で勝手気ままに港や岬など作って楽しんだ。あのエネルギーが脳内地図や心臓の部位の神経伝達に向けれたらもっと医療に貢献できたかもしれない。そう思って遅ればせながら退職後3Dを習得しこれからやろうとした矢先この始末だ。運命だとしたら受け入れるしかない。 今を凌げば夢に向かって一歩踏み込めるのだが。・・・
≫10/25/22 初めまして125です。
SFを見てるかのような自分が異星人によって仕組まれた魂を奪われた身近の人たちが右往左往しながら何かから逃れようと必死になっている渦中に自分もその巻き添いを食っている悪夢だ。昨晩は規則正しい睡眠ということで早めに寝たのに早く目が覚め脈拍の乱れが収まることなく昼間まで続いた。収まった後もなんとなく危機感だけ残っている。人生での5回目の危機の続きが半端じゃない。2回目の危機も突然だった。その頃は完全治癒に10年かかった。
≫10/24/22 初めまして124です。
現実から逃避の一日だった。散歩もしばらくはやめておいた方がいいと思った。24といえば学校といいう題名の24の瞳という瀬戸内に初めて赴任した小学校の女先生の物語を思い出します。わたしも初めて担任したときあの世界と同じに毎日がこどものことだけを考え一日一日が夢中だった時代がありました。よく音楽、家庭科を除き全教科を受け持つので学級王国といいその弊害が問題視されますが、目の前のこどもしか眼に入らなかったことが純粋に仕事がその頃できたと思います。
≫10/23/22 初めまして123です。
二日連続でめまい。ちょっと収まってからYouTubeで今日一日中自分の疾患について見たが自分に症状からおそらくこうだろうという推測はできるのだが、確証のできることは病院での診察に任される。身体的傷病は目で見ることができるのでこれまでも乗り越えられたが、循環器や神経関係は眼で見ることができないので、自然治癒力の発揮させ方がまるでわからない。それも元々心理的パニックから始まったのだから、それがよい方向に向かえば今の病気による緊張状態が少し和らげることができる気がする。
≫10/22/22 初めまして122です。
つい去年までこの健康がいつまでも続くと思っていたが、初めていきなり死へ急接近、昨日も急に散歩中呼吸がしづらくなり夕食後気分が収まるのを横になって待った。そのうち今までが何もなかったように収まった。やはり睡眠はきっちり定刻にしっかりとらなければ、深く反省する。大4の時は東大紛争の余波で本校も卒業式は中止、数年前その卒業式を改めてするという案内があったが行かなかった。昨日の晩、YouTubeで財務省の7割が東大出身という。私の父は銀行員しかし兄弟の誰もその方面には進まなかった。戦後銀行封鎖で生まれたばかりだったが重い病気で死にかかったということをぼんやりした記憶の中で覚えている。
≫10/21/22 初めまして121です。
大3俗にシニア課程とか学部とか言ってました。教養部でどうも自分の思っていた学部と違うと思えば編入試験制度があるので非常に良心的に方向を変えることもできるようにしているところもある。大概はここで定年までの自分自身の社会への貢献のかたちを決めるのだが、中にはそれも自分の分岐の一つとして、それとは全く異なる分野に歩を進める人もいる。バイトで土方、塾などにも精だし人生で最も輝いていた時代だった。稼いだ金は絵の具とモデル代に消えていった。